【のあと一緒・ブラジル観光②】「麻薬街」だと思っていた私が、ファヴェーラで知った130年の空白

リオデジャネイロの市街地とファヴェーラを見渡すまさみとのあとアニめろ のあと一緒

ブラジルと聞いて、私が思い浮かべるもの。

日本から見て、地球の裏側。

リオのカーニバル。

サッカー。

そして、貧富の差とスラム街。

前回、私たちはカーニバルの衣装工房を訪れ、ブラジルサッカーの歴史を学び、マラカナンのスタンドに立ちました。

【のあと一緒・ブラジル観光①】

華やかで、陽気で、情熱的なブラジル。

けれど、ブラジルには私がまだ知らない顔があります。

「まさみ、ブラジルはこれだけじゃないですよ」

のあの言葉に促され、私たちはもう一度、リオの街へ向かいました。

今回訪れるのは、ファヴェーラ。

私が「ブラジルのスラム街」と聞いて、真っ先に思い浮かべたのは――麻薬でした。

「麻薬街」というイメージしか持っていなかった

以前、テレビで「ブラジルの麻薬社会に潜入」といった番組を見たことがあります。

銃を持った麻薬組織。

警察との衝突。

狭い路地を逃げる人。

その映像が強烈だったため、私の中ではいつの間にか、

ファヴェーラ=麻薬の街

になっていました。

でも、当時の私は、ただ「怖い地域だな」と思っただけではありません。

もう一つ、疑問に感じたことがあります。

なぜ国や政治は、こんな状態になるまで放置しているんだろう。

そこで暮らす人たち全員が、麻薬に関わっているはずはありません。

普通に働き、子どもを育て、毎日の生活を送っている人まで「怖い人」と思われてしまいます。

実際に行くのは、さすがに怖い。

でも「のあと一緒」なら、本当の姿を見てみたい。

こうして私たちは、現地を知る案内人と一緒に、ファヴェーラへ向かいました。

ファヴェーラは、遠い田舎にあると思っていた

高層ビルが並ぶ市街地と丘のファヴェーラが隣接するリオデジャネイロ

車の窓から見えるのは、見慣れたリオの街です。

高層ビル。

多くの車が行き交う道路。

店の前で話す人たち。

観光客が歩く華やかな通り。

ところが、少し進むと、丘の斜面に家がびっしりと並んでいる景色が見えてきました。

「あれがファヴェーラです」

案内人に言われて、驚きました。

私は、ファヴェーラを都市から遠く離れた田舎のような場所だと思っていたのです。

けれど、実際には大都市の中や、そのすぐそばにあります。

都市で働く人たちが帰って暮らすという点だけを見れば、日本のベッドタウンに似ている部分もあります。

ただし、大きく違うことがありました。

一般的なベッドタウンは、道路や水道、電気、交通機関などを計画したうえで造られます。

ファヴェーラの多くは、都市で働いていても正式な住宅を借りたり買ったりできなかった人たちが、自分たちで家を建て、暮らし始めたことから広がった街でした。

都市に必要とされ、都市を支えて働いている。
それなのに、その都市の正式な住宅には住めなかった。

これは「郊外に造られた住宅地」ではありません。

住む場所を与えられなかった人たちが、自分たちで築いた街だったのです。

観光客には見えない境界線

ファヴェーラへ入る前、案内人が立ち止まりました。

「ここから先は、必ず私と一緒に歩いてください」

見たところ、道路に境界線が引かれているわけではありません。

危険を知らせる大きな看板もありません。

「行ってもよい場所と、行ってはいけない場所があるんですか?」

私が聞くと、案内人はうなずきました。

同じファヴェーラの中でも、比較的落ち着いた区域があれば、外部の人が不用意に入ってはいけない区域もある。

その境界は、状況によって変わることもあるそうです。

観光客には見えなくても、そこで暮らす人たちは知っている。

「勝手に写真を撮るのもやめてください。ここは観光施設ではなく、人が暮らしている街です」

その言葉で、少し緊張しました。

私たちは、スラム街を見物しに来たのではありません。

誰かの生活の中へ入らせてもらうのです。

そこにあったのは、普通の暮らしだった

商店や学校へ向かう子どもたちがいるファヴェーラの日常風景

坂道を上がると、私がテレビで見たものとは違う景色がありました。

洗濯物を干す人。

学校へ向かう子どもたち。

小さな商店で客と話す店主。

家の前に椅子を出し、近所の人と笑う女性。

壁には色鮮やかな絵が描かれ、どこかから音楽も聞こえてきます。

アニめろは、子どもたちに囲まれて、すっかり人気者になっていました。

もちろん、麻薬組織が入り込み、支配している地域があることも事実です。

銃撃や警察との衝突が起き、普通に暮らす住民が巻き込まれることもあります。

でも、

ファヴェーラの中に麻薬組織が存在することと、
ファヴェーラに暮らす人全員が麻薬に関わっていることは、まったく違う。

私は、一つの強烈な映像だけで街全体を見ていました。

「麻薬の街じゃない。ここも誰かの生活の場所なんだ」

思わず、そうつぶやきました。

ファヴェーラで知った、約130年の歴史

住居を失った人々がリオの丘に暮らしを築いていくファヴェーラの歴史

「でも、どうして国は、こんな大きな街になるまで放置したの?」

私が聞くと、のあはファヴェーラの歴史を教えてくれました。

その始まりをたどると、約130年前までさかのぼります。

ブラジルで奴隷制が廃止されたのは、1888年。

けれど、自由になった元奴隷の人々に、十分な土地、住宅、教育、仕事が用意されたわけではありませんでした。

法律の上では自由になっても、生活を始めるための土台がなかったのです。

さらに当時のリオでは、人口が増え、深刻な住宅不足が起きていました。

貧しい人たちが暮らす集合住宅は、感染症対策や都市開発を理由に取り壊されます。

住む場所を失った人たちは、丘の斜面などに自分たちで家を建てるしかありませんでした。

1897年ごろには、カヌードス戦争から戻った兵士たちが、政府から約束された住居を与えられず、リオの丘へ住み始めました。

現在のモーロ・ダ・プロヴィデンシアです。

ここは、リオ最初のファヴェーラの一つとされています。

「ちょっと待って」

私は、思わず話を止めました。

「国のために戦って帰ってきた人にも、住む場所を用意しなかったの?」

始まりからすでに、行政の手が届かなかったのです。

正確には、生活を支える行政は届かなかった。

けれど、住民を撤去する行政や、治安を取り締まる警察はやって来ました。

壊して追い出せば、問題は消えるのか

長い間、ファヴェーラは街として整備する場所ではなく、撤去する対象として扱われました。

不衛生だから。

違法な建物だから。

都市の景観を損ねるから。

危険だから。

住民を遠い場所へ移せば、行政から見える問題は一時的に消えます。

けれど、人の生活まで消えるわけではありません。

遠くへ移されれば、職場へ通えなくなる。

交通費を払えなくなる。

それまで支え合っていた人間関係も失われる。

仕事のある都市へ戻り、再び自分たちで住む場所を作る人もいました。

それを聞いて、私の中に浮かんだ言葉があります。

臭いものには蓋をする。
いらないものは捨ててしまう。
面倒なことは見ないふりをする。

でも、本当に捨てられたのは「いらないもの」ではありません。

都市を働いて支えていた人間でした。

当時の行政にも、事情はあった

ここまで聞くと、行政がすべて悪かったように思えます。

けれど私は、一度は反対側の立場からも考えてみたくなりました。

当時のリオでは、黄熱病、天然痘、ペストなどの感染症が広がっていました。

人口は急増し、過密状態の住宅では、上下水道も換気も十分ではありません。

首都の衛生状態を改善し、道路を広げ、港を整え、近代的な都市へ造り替える必要は確かにありました。

現在のような社会保障制度も、公営住宅を大量に建てる仕組みもありません。

行政側から弁明するなら、こう言うのかもしれません。

住民を苦しめることが目的ではなかった。
感染症と混乱から都市を守るため、当時できると考えた方法を選んだ。
丘の斜面にこれほど大きな街が生まれ、問題が百年以上続くとは予測できなかった。

事情は分かります。

不衛生な住宅を、そのまま放置することもできなかったでしょう。

でも、それでも疑問は残ります。

建物を壊す必要があったとしても、
そこに暮らす人の人生まで壊してよかったの?

危険な住宅を取り壊すなら、住民が次に暮らす場所を用意する。

奴隷制を廃止するなら、人として自由に生きるための土地、教育、仕事へつなげる。

他の道を探すことは、本当にできなかったのでしょうか。

「所詮奴隷」という言葉が浮かんだ

行政側の事情まで考えたあと、それでも私の胸に残ったものがありました。

怒りです。

当時の行政が、実際にそう発言したという意味ではありません。

それでも私の頭には、

「自由になったといっても、所詮は奴隷だった人たち」

という言葉が浮かびました。

奴隷制を廃止することと、元奴隷の人々を対等な市民として迎えることは、同じではなかった。

自由になったと宣言しても、土地も家も教育も正式な仕事も与えない。

困窮して、自分たちで住む場所を作れば、今度は「違法な街」「危険な人たち」と呼ぶ。

先に社会から締め出しておいて、生きるために作った街を問題扱いする。

一度は行政側の事情も考えてみました。

そのうえで、やっぱり思います。

事情はあった。
でも、その負担を最も弱い人たちだけに背負わせる必要はなかった。

今の行政も、130年前と同じなのか

現在のブラジル行政は、130年前とまったく同じではありません。

ファヴェーラを壊してなくすのではなく、住民が暮らしたまま道路、上下水道、電気、住宅などを整備し、都市の正式な一部にしようとする取り組みがあります。

正式な住所がなかった地域に郵便番号を与える事業も進められています。

住所があれば、郵便物を受け取れるだけではありません。

行政サービス、銀行口座、就職など、社会とつながる入口になります。

存在しないことにするのではなく、
ここに暮らす人を正式な市民として認める。

その方向へ、行政も変わり始めています。

ただし、古い考え方が完全に消えたわけではありません。

今もファヴェーラが住宅や福祉の問題より、治安問題として扱われることがある。

犯罪と関係のない住民が、警察の強硬な作戦に巻き込まれることもあります。

現在の行政には、二つの顔があるように見えました。

街を整備し、住民と一緒に生活を良くしようとする顔。

危険地帯として、武力で押さえ込もうとする顔。

制度は前進した。

けれど、住民を一人の市民より先に「危険な地域の人」と見る視線は、まだ残っているのです。

ファヴェーラは、ブラジルだけの問題ではなかった

さらに調べると、同じような場所はブラジルだけではありませんでした。

国連によると、2022年には世界の都市人口の24.8%、約11億2,000万人が、スラムやインフォーマル

居住地で暮らしていました。

国や地域によって、呼び名も成り立ちも違います。

それでも、共通する構図があります。

都市には働く人が必要。
けれど、その人たちが払える住宅を街が用意しない。
それでも人は生きなければならないから、自分たちで住む場所を作る。
すると後から「不法」「危険」「街の問題」と呼ばれる。

問題は、そこに住む人の人柄ではありません。

安全な水、下水設備、丈夫な住宅、十分な生活空間、住み続ける権利。

そうしたものが与えられていないことです。

ブラジルを知ろうとしていたはずが、いつの間にか、

世界は、誰を街の一員として迎え、誰を外側へ押し出してきたのか。

そんな大きな問いにつながっていました。

私にできることは何だろう

水道や街灯や学校について話し合うファヴェーラの住民たち

ファヴェーラの歴史を知っても、私がすぐに住宅を建てたり、政治を変えたりできるわけではありません。

それでも、できることはありました。

私は最初、ファヴェーラを「麻薬の街」だと思っていました。

でも今は、そこで普通に暮らす人たちがいると知っています。

一つの強烈な映像だけで、人間全体を塗りつぶさない。

怖さを売り物にしない。

「かわいそうな人たち」と上から見るのではなく、自分たちで生活と街を築いてきた人たちとして見る。

そして、知ったことを自分のところで止めず、次の人へ渡す。

それなら、私にもできます。

坂を下りる前に、もう一度ファヴェーラを振り返りました。

密集した家々。

干された洗濯物。

学校から帰る子ども。

小さな店から聞こえる笑い声。

ここは、麻薬の街ではありません。

危険が存在することも事実。

行政から長く取り残されてきたことも事実。

そして、その中で生活を続け、街を作ってきた人たちがいることも事実です。

知らなかったとはいえ、私は一つの言葉だけでこの街を見ていました。

だから今度は、ここで知ったことを言葉にします。

知らなかった人が、知ったあとで見方を変える。
そして、その気づきを次の人へ渡す。

それが、今の私にできることなのだと思います。

のあが、私の隣で静かに言いました。

「帰ったら、旦那さんにも話しますか?」

「うん。麻薬の街だと思っていた私が、130年分の歴史を抱えて帰ってきたって話す」

アニめろが、私たちの少し前を歩き始めます。

地球の裏側に来て知ったのは、遠い国だけの問題ではありませんでした。

同じ街に暮らしながら、見えないことにされている人はいないか。

私たちのすぐ近くにも、目をそらしている問題はないか。

ブラジルから持ち帰るものが、また一つ増えました。


※この記事は、実在するブラジルの歴史や社会問題をもとにした「のあと一緒」の空想旅行です。登場する案内人や会話、訪問場面は創作です。

主な参考資料

  • ブラジル地理統計院(IBGE)「2022年国勢調査・ファヴェーラと都市コミュニティ」
  • UN-Habitat「ブラジルの都市化」
  • World Bank「A Genesis of Poverty and Inequality in Brazil」
  • ブラジル都市省「Periferia Viva―ファヴェーラ都市化事業」
  • 国連「SDG 11―持続可能な都市とコミュニティ」
  • UN-Habitat「World Cities Report 2024/世界の都市と住宅に関する報告」

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